女戦士の食卓
1億3千万人が勘付いていそうな事実ではあるが、女戦士マミヤは実際料理が下手だった。 苦手、不得手を僅かなり覚えのある手とすれば、彼女の腕はその領域に掠ることすらないだろう。 ハッキリ言えば、壊滅的だとリンは思った。 「ケンも久しぶりに帰ってきたことだし、今日の夕食は私が…」 恥じらい半分に宣言したマミヤを、顔面蒼白の村人達がすがりつくように制止に走った理由が、今となってはよくわかる。匙一口のテイスティングで、四肢の痙攣と一時的な視覚の混乱に見舞われたリンはしかし、健気にもこの事実をケンシロウ達になんとか伝えるべく、厨房の床を懸命に這い進んだ。 (ケェェーーン!!…た、食べちゃ駄目ぇーーっ…!) 快調に鼻歌を飛ばしながら厨房に戻ってきたマミヤは、外から抱えてきた足が24本はある赤黒い甲虫(※米俵60kgサイズ)を「はっ」という気合一閃、鉄製のヨーヨーで絶命させるや、煮えたぎる鍋にドボンと放り込んだ。一時も遅れてならじと「強壮」「回春」「持続」「絶倫」などといった字面の読み取れる不穏な小瓶の中身を、惜しげなく上からぶちまけていく。 (そ、そんなにーーっ??) 純粋にマミヤの手伝いをせんがため厨房に忍び込んだリンだったが、背筋も凍る戦慄に文字通り震えながら地を這うはめに陥るとは、想像も及ばぬところであった。とうのマミヤはというと、生真面目な面持ちで料理に没頭しており、部屋の隅で倒れ伏しているリンには気付く気配もない。清楚な純白のエプロンに身をつつんだすらりとした立ち姿は野の百合を思わせる優美さだが、たたら操業の如く両腕で特大のしゃもじ(※宮島杓子7尺大)を操る勇猛な手つきがいかにも恐ろしい。せめて一刻も早く味見をして欲しい…と願うリンの心の叫びが通じたのか、マミヤは鍋から小皿に取り分けた液体をひと口ふた口味わいながら飲み込んだ。 「う〜ん。ちょっと旨みが足りないかしら?」 (う、旨みなのーーっ??) そんな時はやっぱり昆布ね、とフンフン歌いながら極太のダシ昆布1s(※目分量)を重ねて放り込む。直径がケンのバストサイズほどはあろう寸胴鍋からは、怪異な蛍光グリーンの煙がもうもうと立ち昇っている。 このままでは確実に誰かが犠牲になる、と直感したリンは、感覚の無くなった両脚を必死に引きずりドアへと腕を伸ばした。せめてバットがこの場に来てくれれば…との少女の切なる願いは、果たしてこの直後に叶えられた。 「マミヤさん、晩飯まだー?」 窓の外からひょいと頭を覗かせたバットが、鍋の中身を検分しようと身を乗り出している。 「危ないわよバット。ひと煮立ちしたら完成だから、ケン達と一緒に待ってて」 「…なんかさー、外で村の人がこのへん一帯、累々と倒れてんだけど」 リンの姿も見えねえし…と窓枠に張り付きながら後ろを怪訝そうに振り返るバットの様子から察するに、恐らく村人達はこの蛍光色の煙(有害)を吸い込んだか、匂いを嗅いだかしたのであろう。ということは、村人によるすんでの制止の可能性は潰えたか。頼みの綱であるバットに緊急事態を訴えようと、リンは残る力を振りしぼりもがいた。 (…ああっ、バット…!!) 「ねえマミヤさ〜ん、ひと口でいいから俺に味見させてよ」 リンの耳に届けば彼女を絶望の淵に叩き落したに違いない暢気な申し出はしかし、ここでついに力尽き翌朝まで意識を手放したリンの耳に届くことはなかった。 「行儀が悪いわよ、バット」 「へへ。でもさあ、もし塩と砂糖を間違えてたりしたら、ケンもレイもゲンナリすると思うぜ」 「いくらなんでもそんなお約束な間違え方しないわよ!失礼ね」 「まあまあ、いいからさ。ちょいと俺に任されてみなよ」 上半身を屋内へと乗り出し、唇の端を人差し指で突付きながら茶目っ気たっぷりに催促するバットをさすがに無碍には追い返せず、マミヤは一口だけよと呟きながら、小皿に取り分けた液体を少年の唇に流し込んだ。 耳血を噴出させながら李小龍(ブルース・リー)の如き怪鳥音を喉の奥から迸らせる、という激烈な反応をもって窓枠から突然フェードアウトしたバットには感心を示さず、マミヤは「うふふ。不味いなんて言ったら承知しないわよ〜」と重ねて何某かを鍋にぶち込む作業に夢中になっている。 薄れゆく意識に必死で抗ったバットではあったが、(味の問題か)と精一杯のツッコミを最後に、窓の下に翌朝まで倒れたのであった。 ★ 長老に村の用心棒として雇われたケンとレイが、バットと三人で雑居している家屋では、主賓の猛者二人が晩餐を待っている最中であった。暇を持て余し気味に、箸で空気をちょいちょいとつまんでいるレイの向かいの席で、ケンが両腕を組み目を閉じている。 「まあ最低このあたり、という想像はつけているんだがな」 「最初からそう決め付けてはマミヤに悪い。案外うまいかもしれん」 「フッ。お前の言い草こそ大概失礼だぜ、ケン」 にやりと笑って箸を置くレイの背後でドアが勢いよく開き、いささか興奮気味のマミヤがワゴンを力強く押して部屋に入ってきた。 「お待たせ〜!二人ともお腹がすいたでしょう」 「胃に穴が空きそうだ。味のほうが心配でな」 軽口をたたくレイを失礼ねといなし、マミヤは慌しく食卓を整え始める。エプロンに包まれた彼女の胸に悪びれもせず視線を送りながら、こちらもご満悦の体のレイであったが、奇怪な虹色のオーラが軽く1メートルは立ち上っているスープが目の前に運び出されるや、頬をひきつらせた。ケンも無表情こそ保ってはいるが、額に滲んだ一適の汗は隠せない。 (レイよ) (なんだ) (お前先に食え) (無茶いうな。最低このへん、どころか最悪命にかかわる) (楽しみにしていたのはお前だろう) (何を言っている。マミヤはそもそもお前ために作ったのだ。俺なんぞ添えものだ) (謙遜するな色男。いいからお前食え) (マミヤから見ればお前のほうが色男だ。遠慮せず俺のぶんまで一気に食え) 「あの…二人とも、食べないの?出来立てであったかいのよ」 なにしろ気丈なことでは人語に落ちないマミヤである。そんな彼女が迷子のバンビのように心許なげに瞳を揺らす姿を目の前にしては、大の男が揃って「どう見てもヤバそうで食えん」とは到底言えぬ。二人とも武器を選ぶように慎重にスプーンを握り込んだ。レイは眉間に深々と皺を刻み、背筋を滴る冷汗の不快感に耐えていたが、期待にみちみちたマミヤの双眸のきらめくばかりの美しさに抗えず、ついに覚悟を決め息を飲み込んだ。 (ケンよ) (うむ) (俺には、マミヤの期待を裏切ることはできん) (わかっている。事後処理は任せろ) (すまん) (お前が気に病むことではない) (せめてアイリの口には入らぬよう阻止してくれ) (約束しよう) いま自分の頭上には死兆星が瞬いているに違いないとレイは思った。ついでにマミヤは死をも賭した自分ではなく、ケンがスープを口に運ぶ瞬間を、今や遅しと見守っている。 悲しい女よ…と自虐的に唇を歪めたのち、レイは華麗なるスプーン捌きで、レインボーオーラをまとう液体を口腔へと一気に流し込んだ。ケンは胸のうちで、この勇気ある強敵(とも)のために合掌したが、予想し得たカタストロフは友人の体内ではひとまず起こらなかったようだ。 「お…おいしいかしら!?」 大相撲の結びの一番をかぶりつきで観戦するかのような気迫を込めて、マミヤが瞳を瞬かせる。一瞬の空白ののち、レイはいつもの皮肉めいた微笑をたたえ肯いた。 「フッ。一時はどうなることかと思ったが、料理も女も、味わってみんことにはわからんな」 マミヤは嬉しげに嘆息しつつも、未だスプーンを宙で構えたままのケンと目があうや、新婦の如き恥じらいをもって頬を染め、「アイリとリンちゃんも呼んでくるわね!」と逃げるようにそそくさと部屋を出て行った。 「ガハァア!!」 「レイ!」 マミヤの姿が消えるが早いか、レイは口腔から虹色の液体を水芸の如く豪快に噴き上げ、椅子ごと頭から転倒した。すかさず駆け寄り、ケンは彼の頭部を抱え起こしつつ数箇所の秘孔を突いた。 「バカな…。みすみす命を投げ出すようなものだ」 「フッ…、俺一人の犠牲で万事おさまるのなら構わん。それよりケンよ、あの鍋の中身を残さず俺の腹に流し込め。事こうなっては、惚れた女の手料理を一適たりとも地に吸わせるわけにはいかん…!!」 「貴様そこまで…。よし、わかった!!」 義に生きる友の熱さにさらに熱く応えるべく、ケンは鍋をぐっと両腕で引き寄せると、レイの口唇に宛がった。 「フッ…マミヤの奴。よりによってこんなに大量に作りやがって」 「他に言い残すことはないか」 「一言、うまかったと」 「たがえまい」 かくしてアイリを背後に従えたマミヤが意気揚揚と居間に戻った時、昏睡状態に陥ったレイは床の上に土気色の顔(死色)を晒し倒れていたのであった。 慌てて駆け寄るマミヤとアイリをなだめ、ケンは苦渋に満ちた表情で呟いた。 「俺がついていながら…すまぬ。レイはどうしても自分が全部食うと言って聞かず」 「ああっ。なんていじきたない兄さん…!!」 はらはらと涙を零ししゃがみこむアイリの頭髪をいたわるように撫で、ケンはずっしりと体重の増したレイの体を万感を込め背負った。身を挺して妹と友、さらには愛する女の名誉をも死守した義星の男の苦しみを知ってか知らずか、マミヤは 「ばかなレイ…。そんなにこれが好きならいつでも作ってあげるのに」 と呟いたのだった。それに対して明日からまた村を離れることになっているケンシロウは 「要望があればまた作ってやるがいい。レイはうまかったと言っていた」 と答えたのだった。 <続かないです…> 2006.8.7 |